なぜ、学位論文を書いたか

2010/05/15
昨日、金沢美術工芸大学で芸術博士の学位を頂いた。不思議な体験だった。若いきらきらした女性が二人、過程博士の学位を授与され、僕は論文博士の学位を頂いた。論文博士は金沢美術工芸大学の第一号だそうである。
晴れやかなステージと花束と学長や教授達の絶賛の言葉がおもはゆく、うれしかった。

僕の論文は340ページにも及び、厚さ数十ミリ? そのタイトルは「自己解剖/自己の作品と理論の解剖による普遍的美の探求」というものだったのだが、この学位論文を書くことになった動機は今から8年前にさかのぼることになる。

授与後、挨拶する
金沢美術工芸大学の博士課程の専任教授を仰せつかって7年間過ごし、昨年の3月で退官した。初めからの疑問は「芸術に学位は必要か?」という問題であり、それでも必要なら「芸術の学位とはなにか?」という疑問であった。

素晴らしい芸術作品を沢山創作したからといって、芸術学位が貰えるわけではい。感動させる作品が描けないでも素晴らしい芸術論を書けば芸術博士に適しているかといえば答えは否だろう。そのような芸術学位の学位論文を指導する立場になって、真剣に悩むことになった。

良くは分からないままに、もしも芸術学位があるとすればこんなものだろうと学位論文を書き始めた。芸術学位論文のあり方を探すために、また仮説としての試作をするために、僕はこの学位論文を書き始めることになった。

「自己解剖」という切り口が学位論文の僕にとって重要な最初の視点である。「芸術とは告白であり問いである」と僕は定義づけていた。デザインや芸術などの創作活動は「表現」ではなく、表現である前の「美を探す行為」だと結論づけていた。「告白」や「問い」とはこの探求の過程で「表現」と言うほどに明確な動機や整理された内容をもつものではなく、むしろ、苦渋に満ちた、嘔吐のように吐き出される「告白」であり、他者や世界への祈るような「問い」であると言わざるを得ない。だから芸術に関する創造的研究である学位論文は自己解剖になる・・・と考えたのである。
この背景にはもう一つの僕の思想がある。それは人類や社会は僕の内部にいるという考えである。これは殆ど直観に近いものだが、世界を見ても人間は見えない。自己の中にこそ人類を発見できるという実感である。
そのために普遍的な美を発見する唯一の方法は自己解剖だと思っていた。自己解剖によって始めて普遍的な美が見えてくると信じていた。

自己解剖は僕自身の「理論」と「作品」という二つ切り口の解剖から始められた。これまでの僕自身の多用する単語や気になるキーワードを列挙する。そのキーワードを解析し解説する。そのキーワードに関係する作品を拾い出す・・・こうして作品の背後にある思想の断片を探し出し、その複数の断片の関連図を曼荼羅図として整理する。
もう一つの作業は作品からの出発なのだが、自分が思う代表作品を列挙してその作品を言語化する。作品は論文の中では映像だから言語化しなくては論議できない。かといって作品から遠のいて理論の粒としての言語やキーワードに至っては作品から離れすぎる。そこで作品創作の方法に属し、作品と言語(理論)の中間に漂う概念を修辞法と名付けて置き換えていく。こうして、50の作品は50の修辞法としてその相互関係を解析、解説できるようになる。

初めからこの論文は階段状にステップを踏んで継続し完成させるつもりでいた。キーワードからの解析は求龍堂から「デザイン曼荼羅」として出版し、作品からの解析は求龍堂「デザインの修辞法」として出版された。この二つの解析を元に「普遍的な美を抽出する、第三の論文」をこれに加えて三部作で学位論文としようと目指していた。

この構想の背景には「作品と論文(理論)は等価である」という考えがある。
「作品は素材(或いは存在するもの)で書いた論文である」のと同時に、「論文は言語で描いた作品である」と作業を進めながら漠然と考えていたことが明白になってきた。「素材という言語」と「素材としての存在する材料」という創作する素材の相違だけで論文も作品も理論であり、作品ともなるのである。理論も作品となりうるし、作品もそれ自体を論文と言うことが出来る。
こう考えることで学位論文は作品だけでも成立することになり、論文だけでも成立することになる。本当はその相互作用を論ずる必要があるのだろうが、理論上は芸術博士は優れた作品を提出するだけで授与するに値することになる。

作家もデザイナーも理論家もこの一見、異なった創作の形式にとまどいながら付き合っている。しかしこの二つは等価なのだ。この仮定(考え)がこの僕の学位論文の背景にしっかりとある。

自分を語りながら創作の本質を裸にしていく。自己の美意識を解剖しながらその先に普遍的な美についての思想を語っていく。僕は美意識に普遍はないと考えているのだが、自己の美意識を語ることでその中にベクトルとして普遍的な美を描くことが出来るのだと考えている。普遍的な美は目指すべきものであるのだが掴むことは永久に出来ないものなのだ。

この作業を通じて、いくつかのことを発見もした。
先ず、「作品は論文と等価であること」であり、「自己の美意識の追求によってこそ、普遍的な美が見えてくる」ということである。

「創作的な研究は実証的研究ではなく、仮設的研究であり、創作そのものが、作品でも論文でも仮説であること」であること、そして実は実証することの前にこの仮説の提出が以下に重要なのかを主張するべきだということ。

「近代の思想はゲルマン民族によるキリスト教的思想であり、東洋の我々にとっての近代の思想を東洋から作り替えることが可能だ」という発想が見えてもきた。そして、「哲学はキリスト教的一神論からしか生まれないこと」、したがって、「日本人には哲学はなく、美意識だけがある」こと。その結果、「思想とは巨大な大樹ではなく、小さな思想の樹による森なのだということ」である。

このことから、人生を賭けてつくり続けてきた作品や論文の紆余曲折する、時に矛盾し合う作品や論文の集合もまた作品や論文の森であり、その森もまた壮大な作品であり論文であることが見えてくる。理路整然とした大樹のような作品や論文はたった1人の神を持つ民族の思想でこそあり、自然の一部として生きる我々東洋の人種には無縁な発想でしかない。

提出した学位論文の最初のページに以下のような文章がある。
「この論文はツリー型の構造を持っていない。作品やキーワードや小論文が相互に並列的に浮遊している。その一つずつは非連続なのだが地の上に描かれた図のようにその間に「間」がある。読者はその複数の浮遊する「メッセージ」をそれぞれの読み取り方でつないでいく。読者が参加することで創造的に理解する論文形式である。」と。

論文形式自体が小さい樹木の森のように群となっている。

人生自体、表現ではなく探求の過程だと思っている。デザインも芸術も探求の過程でしかなく、永久に終わりがない行為である。僕の学位論文がそれを描き終え、印刷を終えたときにはもう古びていることに気付かされたように、絶え間なく探し続けることが人生であり、デザインなのだ。

試作として始めた学位論文はこうして、僕自身の美の探求の道程であり、これからのその続く探求の出発点でもあった。真っ向から美とはなにかに立ち向かい、芸術とはなにかに立ち向かって、僕は自分の人生の過ごし方が見えてきたように思う。芸術学位はもうどうだっていい。大切なものをくれたこのチャンスに感謝したい。

この論文は大学院教授としての金沢美術工芸大学への置きみやげであり、僕自信の次の世代への遺言でもある。

ちなみに、金沢美術工芸大学の僕は30号目の芸術博士であり、論文博士としては1号目であった。
(2010,5,14)

久世学長から授与される

学長と授与された3人

院生が計画した祝賀会で学長の挨拶

挨拶する僕

祝ってくれた院生や教授達