今、北京空港にいる

2010/03/17
今、北京空港にいる。北京にKの商品とその思想を販売するところが見つかったからである。というより、活動のパートナーが出来た、と言うべきかも知れないのだが・・。
中国は丁度、世界が近代化に邁進していた時期、内戦に明け暮れていた(文化大革命は1966年から76年までの日本がもっとも近代化された時期の行われた)。
そのために、中国には僕ぐらいの年齢のデザイナーがいない。指導者がいない・・と僕を慕ってくれる。
デザイナーが育たなかったために今、中国のデザイン教育は殆どアーティストが行っている。このことが中国では問題になっているのだが、僕には大変興味ある状況だな・・と感じる。
Kの作品と思想を販売するO Galleryはフランスに5年間留学した経験のあるSONG TAGが率いているギャラリーである。彼はこのギャラリーのオーナーでもありアーティストでもある。彼等にはアートもデザインもどこかで同じ感覚のようだ。彼等自身はデザインという領域の重要さを感じているしそこに生きてもいるのだが、デザインという新しい概念に憧れももっている。
それなのに、僕にはそういう彼等に現代のデザインが失いつつある大切なものを見ている。
デザインはアートなのか・・・という問いがよく発せられる。デザインは社会性があるからアートではないとか言うことのようなのだが、アートに社会性がないわけではないし、ちゃんと市場があって専属契約などもある。
この問題はあらためて論ずるとして、とにかく、中国のこのデザイナーの歴史が欠落していることは大変面白い現象を生んでいる。
プロフェッショナルなデザインの仕方や企業の探し方、付き合い方をしらない。若いデザイナーたちがこぞってこの職業としてのデザインの成り立ちや作品を実現させるルーティーンがまだないために困っている。
アートに馴染んできた連中なだけに優れた感覚を持っている。それはそうだろう。何せ数千年の中国の歴史が彼等の骨肉となっているのだから。
O Galleryの展示空間を見るとその凄さが分かる。北京のアートギャラリーで有名な798と呼ばれる倉庫群にそれはある。友人達はギャラリーのオーナーや美術館長や雑誌の編集長たちであるし、アートの議論を当たり前にしている。僕の到着を知って直ぐ二三十人が集まってくる。そして、快適でオシャレなアーティスティックな広々とした空間で僕のレクチャーが始まったりする。
職能としてのデザインがそれ故に失った大切なものがこのデザインを知らない中国のデザイナーたちに潜んでいる。
中国のデザインをすぐに真似る連中と馬鹿にしていると大変なことになるぞ・・・と忠告したい。彼等の方が可愛い売れ筋の、しかもはやりの・・・その上なんの役にも立たないものをデザインしている日本の若手デザイナー達よりずっと人間について問いを発している。
(2010,3,17)
写真は全てO Galleryのショールーム