2010年に向けて

2009/12/31
悪いことをしないことといいことをすることは同じかといったらそうではないのは当然だろう。悪いことをしないのは人間としては当たり前なことである。だから悪いことをしないからと言ってだれも褒めてはくれない。
いいことをすると人は褒めてくれる。そして、いいことをしなくても非難はされない。

今、世界は・・・特に日本ではこの悪いことをしないことに血道を上げている。廃棄物を出さないとかエコロジーとか省エネルギーとかはこれまで平気でゴミを出し、無駄をし、エネルギーを使い放題にしてきたからそんな「悪いことをしないようにしよう」という主張である。だから僕は「当たり前のことだから褒められることではない」と思っている。

これまでの元気のいい時代の日本は「悪いこと」もしたけど「いいこと」もいっぱいしてきた。それが悪いことにつながっているのだと気付かないでどんどんいいことをするのに一生懸命だった。だから元気が良かった。
でも、悪いことをしてはならないという空気は素晴らしいのだがこれほどいいことをしなくなると社会全体の元気が減衰する。

会社でいえば、経費を節減して、人員も減らして、活動が少し衰えても経費節減が重要だ、となることだ。ホンダに続いてトヨタもF1から退いた。1秒の早さを競って何億というお金を投資するより、エネルギーの節約に投資しようというのである。間違っているなどとは思わないけれど、寂しさは拭えない。その寂しさは命の燃え上がるあの感動を犠牲にして、「悪いことをしない」ことにお金をかけようという人間の「寂しい正義」のことである。

人間の生命力の輝きは時に社会に危害を加えかねない。経済が競争の原理なくしては活性化しないということはこの生命力を経済の発展の力にしようという考えである。競争によっていくつかの企業は倒産に追い込まれたりもするのだが、そんな敗者を生みだしても経済の活力を手に入れようということである。これこそ生命の原理なのである。

中国に行くと多くの人々は、今はチャンスとばかりにぎらぎらと目を輝かせて競争に励んでいる。地球が死なないぎりぎりの範囲で排気ガスを許容しても生命の炎を燃やそうとしている。

地球は瀕死の重傷を負っているのだから確かに、このままでは済まされない。でも日本のこのネガティブな空気は、人間の心が瀕死の重傷を負っているとしかいいようがない。コストダウンしよう・・・給料が減っても仕方がない・・・安くしなければ買ってくれない・・・、そしてデフレスパイラルが始まっている。社会全体が意欲をなくして、社会全体が相互に監視されてエコという言葉がはやり、無駄を非難して生命の爆発を嫌っている。
命ってそんなものだろうか?生活難で自死する人が多いこの時代より、美のために自死した武士道の盛んだったあの時代の方がずっと健全である。

挑戦しよう。命の美しさを求めて危険を冒そう。悪いことはしない方がいい。でもいいことをしよう。2010年はそんな時代への転換の年でありたい。
(2009,12,31)


写真は安比高原にて撮影