「深圳で思うこと、そして、身体感覚のこと」

2009/12/03
深圳に来ている。
深圳がユネスコのデザイン都市の指定を受けたことを記念して、中国政府と深圳大学主催するデザインフォーラムである。東京ビッグサイトでのIFFTの展示と全くスケジュールが重なってしまったので展示を終えて深夜に深圳に入った。
香港から入るのだが香港と中国の不思議な政治的関係を深夜、香港から深圳への移動で感じることになった。
香港空港に到着して税関を出て、そこから34分ほど、タクシーで香港側の税関のある街に到着し、健康チェックの書類を提出して、そこからシャトルバスで今度は数分の道のりで深圳側の税関の施設に着く。ここでもう一度健康チェックの書類を渡し、とことこと歩いて税関で入国のチェックを受ける。
国境の中立地帯のようなエリアがあるのだ。みんな手続きをして相互に行き来している。
深圳側の出口でやっとフォーラムの派遣してくれた迎えの若い学生達とでであう。ホテルに着いたのが2時頃。ちょっと寝て、8時起床。9時にはロビーに他のレクチャラー達と集合して9時半から壇上に椅子を並べて観客に向かって紹介と挨拶となる。

展覧会が開催されていて40から50の大学からの作品が大型パネルで展示されている。僕たち講師達の作品も特別のエリアに展示されているのだが、学生達もなかなかの仕事ぶりである。
日本にも恐らく100近いデザイン学校があるのだろうが、中国では恐らくその十倍は越すだろう。沢山の学生とそれを指導する教授達。産業がいま立ち上がろうとし、人々が貧民から中間層へ移行しつつ渦巻くような変化の最中のデザイン学校の学生達は現実には就職難があっても若々しく輝いて見える。上海では毎月8000台の乗用車が増えている。僕のアテンドの女学生は語学科なのだが結婚前には車を買う・・と語っている。車を持つことは彼等の一番の夢なのだ。

がんがんと増えていく車、デザイン学校、デザイナー達、それを受け入れる広大な中国の国土と14億の人間と沸騰する欲望。
深圳の街には世界の著名な公園のミニチュアを集合させた公園があり、小振りな富士山、その近くには小さなエッフェル塔まである。ミニチュアと言ってもしっかりと聳えていて決してオモチャじゃない。
中国人の好きな世界のコレクションである。外貨を集め、資源を集め、世界の人材とその文化を集め、盆栽や纏足のようにその文化をミニチュアにして自分のものにする。再び、中国は世界の覇者を狙っているだろう。輩出するデザイナーもそのためには必要なのだろう。

展覧会の会場ではなぜか、海外からの講師を差し置いて僕のところに沢山の学生達が一緒に写真を撮りたいと集まってくる。上海の復旦大学でも感じたことなのだが学生達がキュートである。男も女も気取ってはいない。目を輝かせて一緒に写真に収まりたいと集まってくる。アモイでの4つの大学での連続講演の時もそうだった・・・。会場中が通路まで埋める学生達とその質問攻めとサインや一緒の写真ととりたいと集まる学生達の無邪気さは日本では見られない。

明日はいよいよ、僕のスピーチの番である。昨日の10人程度のレクチャー、その内3人ほどは中国のデザイナー達だったのだが、話しの内容は皆、シドニーの都市作りの話しだったり、現代の世界のデザイン状況だったり、中国各地でのフォーラムの報告だったり、「グローバル」な話しばかりである。感性を語っても知の領域に捕捉されたままの感性だった。
僕は「デザインと身体」と称する身体性の話しをすることにしている。映像を見せながら理屈じゃない感覚を言葉で語ろうと思っている。中国に学生達に届くか・・・挑戦である。デザインが産業の奴隷にならないように・・と、それが僕の願いである。だから物や空間を実感することの意味を語りたいと思っている。

僕は「君は都市を知っているか?」と問いたいと思っている。「どう都市を感じたの?」、「深圳ってどこ?」と彼等が今いる部屋、彼等が触れている椅子やテーブルや見える範囲のこの室内が深圳だと気付かせたい。空に鳥のように飛び立って深圳を見ることでも、多くのデータを解読することでもなく、自分の肌で感じる、この空気や観客達のざわめきや吐息、壇上で語る僕の姿などのすべてが深圳だと感じて欲しいと思っている。

デザインは形で語るな、形は視覚。視覚はメディアに乗り安いのだが心の深部には届かない。素材と存在とその全身の感覚のことを考えて欲しいと語るつもりでいる。
昨夜の深圳の満月はなかなかだった。
(2009,12,3)


写真は講演会場の風景と休憩中のフォーラム風景、展覧会場二枚、そして学生と一緒でご機嫌なオーストラリアのデザイナー。