SALONE ARCHIVES in Milan
黒川雅之のサローネ情報

黒川雅之のサローネ情報2007 vol.6
紋様

2007/04/20
今、紋様のことが頭から離れない。そもそも、もう40年前に装飾って何だろう,それを極めないとデザインの本質は見えないかも知れないなと考えていた。最近、景徳鎮で磁器の製作を始めて特徴的な過去の優れた紋様をみつけ感動し、現代の景徳鎮の皿絵のような作品を見て,何かが間違っていると感じ始めた。

絵は個人的な芸術作品なのだろうけれど、紋様は共同体の表現なのだと思う。デザインはこの絵皿のような個人的な表現ではなく共同体の表現として始まったのではないだろうか。そして、現代のデザインはこうして普遍性を手に入れ或る種の共同体的表現を実現していったのだろうと思う。

ところが中国では世界の近代化の期間が内戦で失われている。その間に世界はデザインの思想を手に入れたのだが,中国ではデザインの概念さえも発生せずにいる。僕も復旦大学の視覚芸術学院で客員教授をしているがその学院のグラフィックデザイン学科のほとんどの教授たちはアーティストであってデザイナーではない。
こんな現象が起こるのも近代化の期間を失った中国の特性なのであろうし、そのためにデザインの成長がなかったのであろう。中国ではジャーナリストがよく「アートとデザインはどう違うのですか?」と問いかけてくる。

そんな中国を見ながら紋様とは何だろうと考えていて気づいたのが「共同体」の概念であったし、デザインはその紋様と同じように「共同体」と無縁ではないということだった。
家具に紋様が施されることの意味をこのあたりから考えてみたい。単なる装飾と考えないで,個性的な絵画と考えないで紋様と捉えることで現代的な意味が見えてくる。デザインが見えてくる。
19世紀末から20世紀始めのグスタフ・クリムトの絵画や竹久夢二の装飾性を感じる絵画には近代の美意識が見えるのはこの装飾性や紋様製と無関係ではないのだろうと思う。それでは尾形光琳はどうだったのか,このことと無関係ではないに違いない。

サローネの片隅で見つけたこの装飾性豊かな家具に人だかりがあった。