バカンス報告3
マダガスカルの友人達

2007/08/16
そもそも、息子がマダガスカルに住むことになった切っ掛けを作ったのがアレキシスさんだった。かれは東京農業大学へのマダガスカルからの最初の国費留学生として日本に来て、知り合ったのだが、それが縁で彼はこうして遠くはなれたマダガスカルに夢を持つようになったのである。
つい最近まで首都の隣にある市の市長だったのだがこの広大な敷地に住んでマダガスカル原産の植物を集めたり、マダガスカル出身のアーティストの絵画を集めたりとマダガスカルを愛する知識人である。

その家に招待された。客は我々二家族と彼の息子の家族や前大統領の息子だったりで英語とフランス語とマダガスカル語、それに日本語も交じっての豊かな午後の時間だった。

マダガスカルには途上国によくあるように、極端に差のある二つの生活レベルの層ができている。息子の会社のスタッフの月給は7千円,8千円なのだが一方、息子やアレキシスの層ではその数十倍や数百倍を得ている。それが当たり前にあるバランスを保っている。