職人とのアライアンス

2007/05/30
今では「ものづくり」と言えばメーカーのことなのだが、それ以前に「ものつくりの専門家」とは職人のことだった。ものをつくるとは素材を加工することだから職人は素材といつも会話して素材の心を知っていた。加工しているうちに素材への愛情や素材との一体感が育っていくのだろう。
素材とは身の回りの自然の一部のことで、素材と語り合うとは自然と語リ合うことを意味している。人間も自然の一部だから職人さんは「自然と自分との一体感を感じながら素材と会話している人」だと言うことになる。
デザイナーがなにかもの足りないのはこういう素材との一体感が持ちにくい職能だと言うことである。日本人は自然を「対象」とは感じていない。西洋人は自分の視座から自然を対象として眺めて、加工して自分に適したものにしようとするから科学が生まれる。それなのに自然との一体感を感じている日本人にはなかなかそうはいかない。だから日本人は「出来るだけ加工しないでつくろう」とする。話はそれるのだがだから日本の物は着物だって食物だって家だってあまり加工しない物が多い。

そこで、デザインする僕たちは職人の感覚に憧れながら、それなのに感覚を手に入れられないでいる。亡くなってしまったインテリアデザイナーの倉俣史朗さんは親しい親友だったのだが、ある時オフィスの何周年かの記念のパーティーに招かれたことがある。行ってみると日頃付き合っているデザイナーの仲間は本当に親しい少しだけしかいないで、殆どの出席者は職人たちであった。挨拶が始まって、職人たちはマイクを持つと口々に「倉俣さんはとんでもないデザイナーで、もうこれから彼の仕事はする気がない」と言っている。お祝いの挨拶がそんな挨拶なのだ。厳しい倉俣さんの仕事をしているとひどい想いをする、と言うのである。
それなのに、倉俣さんはニコニコしていたし、職人たちはその表情に深い愛情をたたえていた。叶わないよ、もういやだよと言いながら倉俣さんとの仕事を歓んでいたのである。
職人とはそんな人たちなのである。倉俣さん自身デザイナーになる初めの一歩は家具屋さんでの職人としての修業だった。素材を身体で感じて、それからデザイナーになった人だった。そして、その結果、倉俣デザインの不思議な艶やかさや凛とした気配が生まれた。

今さら、僕にはそんな倉俣さんのようには修業はできない。もうこの歳では手遅れである。でも今頃になってこの素材との会話によってものをつくる職人というものへの憧憬が育っている。
僕が始めた株式会社Kはそれが根っ子になっている。
この株式会社Kは<デザインしてつくって売り手に手渡す>仕組みである。この会社が出来て始めて「つくることと身近にデザインして、売り手や使い手と身近に物を考えデザインできる」立場になれる。
この新会社と技術と装置を持つメーカーや職人とは単なるOEMで製造を依頼する関係ではない。これからずっと一緒に仕事をするパートナーとしての関係である。
だから,職人やメーカーとのアライアンスといってもいい加減な気持ちではない。僕にとって、尊敬と憧れがつなぐアライアンスである。