職人主義

2007/05/14
オフィスを開いて40年になる。その間、一貫して10人以上のスケールにしないと決意していた。バブル期の仕事がいっぱいの時もそれを死守して来た。ある先輩は、「君、それは寂しいことになるよ」といっていたけど、確かに寂しい思いはいっぱいだった。どうしても仕事の仲間は入ったり出たり。まるで大学のような感じだった。大組織だとどんどん人は組織の中での立場が上がって、課長から部長、そして、社長や会長になるまで、ずっと定年までやっていける。ところが、10人ということはいつまでたっても部下ができない。意欲のある人はどんどん出て行くことになる。また別れだな、と飛び立つ若者を祝福しながら、寂しさを噛み締める。
スタッフとの年齢差はどんどん広がる。今では子供の年齢である。気持ちも親父のように叱り激励する。昔のようには行動を共にしなくなる。出来ないのだ。彼らも一緒だと緊張する.それは当たり前である.何せ親父と一緒じゃちょっと肩が凝る。
なのに、、、僕の仕事は拡大の一歩をたどったのである。いや拡大というより拡散かも知れない。建築から工業化建築まで、そしてプロダクトデザインもインテリアデザインも家具もデザインだって真剣にやって来た。その内、インターネットの会社(www.designtope.net)も作り、物学研究会を組織して主宰し、大学の講師や大学院の教授までやったりしてきた。遂につい最近では自分のでザインや自分の好きなデザイナーのデザインを製造したり販売したりする会社までつくることになった(株式会社K)。
僕はこのあいだ、「物学」という概念を提唱して、建築もプロダクトも都市だって同じだという思想を主張してきたし、建築とは彫刻や絵画やすべてのアートやデザインの母のようなもので建築からそれらのジャンルが分離して生まれて来たと主張し、それらのジャンルの等価性を主張しても来た。
それ故に組織としてそれぞれのジャンルの専門家がコラボレーションするという組織的融合ではなく、僕自身の中でのすべての領域の融合を唱えて広い分野のジャンルを全部手がけて来た。等価性を主張することで自己の内部への集中的融合が可能だったのである。
こうして広い領域をすべて包括したままに、自分の手の及ぶ範囲の小さい組織で創作活動をする、という姿勢は今日まで続いている。
これは一種の職人主義だろうと思っている。