「小文字のdesignと大文字のDESIGN」

2006/11/23
デザインとはどの範囲を言うのか、どうも僕の中では二つの範囲があるようである。普通は「ものというかたちで様々な欲求の力を収斂させる」ことがデザインなのだが,もう一つ大切なデザインの範囲はその「ものが成立する条件をもつくりあげること」である。
この前者のデザインを小文字のデザインといい後者を大文字のデザインだと言いたい.
普通、デザイナーはこの小文字のデザインをしている。ものには過剰な程の人や組織や時代や文化の欲望の力を一つの形にまとめている。使う人の欲望が最終的な力であると、とりあえず言ってもいいのだがそれさえ複雑である。使うためによくてもリサイクルしない素材でつくられていたら結果的には生活者に不利益をもたらすのだから簡単ではない。使用者だけではなく売る側,つくる側にだって欲望はある,それを満たさないとものは生まれない。この沢山の人や組織の欲望を一つの形にするのだからデザインは簡単には美しい形では終わらないことが分かるだろう。
ところがそれはそれなりにスパッと直感で見つけだすことが出来る。欲望の収斂とは言い方を変えれば「美の生成」の問題なのだからである。多様な力が一つに轟音を上げて収斂していくその瞬間、それこそ直感が結論を見いだした瞬間である。この醍醐味はデザインするものでないと分かるまい。多分,イチローがピッチャーの投げた魔球にバットを当てたときの感覚や理論物理学者が数式を発見した瞬間もそれと同じなのだろうと思う。
ところが、それさえも満足できるデザインではない、いや、それだけやっていては本当のデザインが生まれないと思うことが多い。そこに大文字のデザインが現われる。
大文字のデザインはいわば状況のプロデュースのことである。社会背景を整備したり企業の判断の間違いが起こらないように状況を作り出したり、社会の意識を変えさせる広報的な活動をしたりしなくては本当の小文字のデザインが生まれにくいのである。いい小文字のデザインが生まれるためにはデザイナーの能力だけでは不可能である。デザインはつくるというより生まれると言った方がいい程に受け止める社会の側の力が必要である。その社会の状況までつくりながらデザインをする能力のあるデザイナーだけがいいデザインが出来るのである。
言い方を変えれば小文字のデザインのために大文字のデザインがあると言えるし、大文字のデザインの出来ないデザイナーには小文字のデザインが出来ないとも言える。