「愛というもの」

2006/11/05
愛とは不可解でちょっぴりスキャンダラスで、そうは簡単に口にできないセリフである。僕はこの愛と言うセリフで2度ほど人の心との断絶を経験している。
シンポジュームでいろいろ議論をした後で『結局,建築もデザインも愛の問題だ』といったところ相手は息をのんで、その後、あいつと議論するのはごめんだ、と付き合ってくれない。も一つは早稲田大学で学生に対してこの同じセリフを言ったらしい、らしいと言うのはちゃんとその瞬間を覚えていないからなのだが、最近その学生がプロの建築家になって出版した著書に『黒川と言う先生が・・・』と前述のセリフを書いているのを発見したのである。
これはちゃんと著書を送ってくれたから分かったわけで付き合ってくれなくなったわけでないのだが、その書きぶりは決して感動したのではなく驚いてのことに違いないことが分かる。
『結局,建築もデザインも愛の問題だ』とは確かに人騒がせである。それだけ愛ということが普通語すぎて哲学や思想を語る言語ではない。いわんや建築やデザインにそんな『すべてがそれで終わってしまう様な究極のセリフ』は吐かないでくれということだろう。

ちょっと、一旦この愛の何かを語る前に必要なことがありそうである。僕のセリフが沢山の説明を省いていたからその説明がここでは必要である。
いろいろな話があるのだが先ず,好きになる町の話をしようか。僕が好きになる町は必ず好きな人たちがいることだ。『先ず人を知りその人が好きになって、それからその人の住む町が好きになる』のである。高岡も福岡も山口も小倉も札幌も上海も景徳鎮もそうである。東京だって好きな人がいなければあまりこだわらないでどこか別の町に去ることだって簡単だと思っている。人は町の重要な要素なのは当然だけれど町への愛情が人への愛情から始まるということは長年生きて来ての実感である。町への愛情をマクロな全体性に関する問題だとすれば、人への愛情は個別な人との関係だと言うことである。この個別性が大切である。

それはさておいて、アメリカのインデアンの古老の話を紹介しよう。これは確か「死ぬのにもってこいの日だ」という本で読んだとおもうのだが、そこで古老がこう言っている。『あそこにいる若者もそこに立っている樹木も、この石も、何を考えているかよくわかる』と。彼は、自分たちは、昔みんな一つだった・・・・と言うのである。昔一つだったのに今は別れ別れになってしまっている。バラバラになっているけど昔一つだったから気持ちが分かると言うのである。これはアメリカインデアンの自然との一体感を言っているのだが、その一体感から他者や樹木も身体と連続性をもって感じているのである。
このセリフの中に彼は『別れてしまったものとの一体感』を語っている。
こう考えてみると,こうも言えることに気づく。『男と女は昔一つだったのだが今は二つに分かれてしまっているから、引き寄せ合うのだ』と。古老にとっては引き寄せ合うというより、それは通り越して理解できちゃうのだろう。これは深いところでの愛である。別れてしまって理解を超える存在となっていることとそれでも引き合う『以前は一つだったこと』の悲しさとうれしさを言っている。

日本人は『お互いへの気づかいで調和しあって生きている』と僕は考えている(講談社『八つの日本の美意識』黒川雅之著)。キリスト教という、価値の基準を神に持つ西洋の世界では人は神の価値を守ることで共存が成立するのだが、日本ではお互いの気遣いでこそ共存することが出来る。日本人は神の摂理ではなく、人への愛でつながっている。

音と音にも、絵と絵にも、そしてものとものにも、間合いがあって全体が充実して完成する。この「間合い」というもの、「間」と言うものは一体、何なのだろうと言うことになるのだが、ここでも音は音と分かれ,人は人とバラバラになって,そのためにこの人と人の気遣いが生まれる。この人と人の「間」が、音と音、ものとものも、元に戻ろうとする力がそれをつなぎとめる。魅力的な調和を実現するのはこの「間」が大切なのである。

昔一つだったものや人が離ればなれになって、不安になって、一人一人、一つ一つが不安を解消しようと発し合う気遣いが「間」であり、そして、これこそ愛なのではないかと思う。
『間』には引き合う力が潜在するし、その力のせめぎ合いが空間を充実させる。

空間とは『空』と『間』の両方を持った言葉なのだが,日本の『空』も『間』も実は充実していて、西洋のSPACEの意味とかなりの相違がある。スペースはがらんどうなのだが『空』と『間』はみっちりと意味の詰まった空間なのでる。

『結局,建築もデザインも愛の問題だ』と言うときの『愛』というスキャンダラスな、口に出すのをはばかられる言葉の影にはこんな背景があるのである。

建築もプロダクトも所詮は空間のためにある。その空間が緊張感をもった充実した空間であること。そして、人と人が全体性を持たないままに、個別な気遣いで成立する調和は『神の秩序』ではなく、個々の『愛』がつくりあげる秩序である。全体性を持たない個別で微細な単位が気遣いや愛情で構造つけられるところが重要である。

言い直そう、『結局,建築もデザインも全体の調和の問題なのだが、バラバラな個別な思いの集積が生み出す美意識の問題である』。