器に思う
その四「景徳鎮の逸話1、2」

2006/11/01
景徳鎮は1000年の歴史を持っている。中でも明の時代は多くの傑作が生まれ、世界に輸出された輝かしい時代であった。当時は官窯と呼ばれる皇帝のための陶磁器を生産する窯があり、そこでは数十、数百の器を焼いてその中から優れた器だけを選びだし皇帝に納めていたと言われている。そのために今でも当時廃棄された器が固まりとなってでてくるという。
そんな景徳鎮には当然、多くの逸話が伝承されている。その多くは皇帝のためにどれほど苦労して美しい器を生み出して来たか、その職人たちの悲しい物語である。
そのいくつかを紹介しよう。(採集・翻訳/劉海清、日本語監修/黒川雅之)
逸話1/風火仙師
およそ400年前の明の時代のことです。皇帝は景徳鎮陶器工場に指示して沢山の「青花大竜壷」を作らせようとしました。しかし、それは相当な技術が必要だからなかなかうまく焼き上げることが出来ません。途方にくれている時、童賓という陶工がその窯の中に飛び込んだのです。薪のかわりに自分の骨でつぼを焼くつもりだったのです。
数日後、窯を開けると驚くことに青花大竜壷は見事に焼き上がっていました。その後、皇帝は彼を記念してその陶器工場の東側に“佑陶霊牌”という位牌をたてたそうです。そして
“風火仙師”という称号を与えたのでした。

逸話2/美人祭
昔ある皇帝は一つの杯を手に入れました。この杯は小さく精巧にできていて、色が赤く透明で、太陽やライトの光を当てると火のような鮮やかな赤色に反射しました。皇帝はそれを珍しい宝物として愛されていました。毎日その杯を使って酒を注ぎ、始めの1杯を天に、二杯目を地に、3杯目を祖先に捧げていました。
それほど大切にしていた杯をある日、うっかりして壊してしまったのです。皇帝は居ても立ってもいられなくて、すぐに部下に同じ物を探すように命令したのでした。実はこの杯はある石工が十万を超える多くの山々を探し歩いて発見した赤宝石を加工して作った物で、もう一度同じ物を見つけることなど望めないことだったのです。でも、皇帝の命令に逆らうわけにはいきません。そこで、藩という部下が命じられることになりました。彼は数年前に景徳鎮に行った時に土からつくった白くて、まるで玉器のような磁器を見た記憶があり、景徳鎮の陶磁職人には白い磁器が作れるのだから、きっと赤い陶磁器も作れるではないかと思っていました。彼は直ちに景徳鎮に出かけ、陶磁器職人たちに皇帝の命令を伝えたのでした。
職人たちはこのような赤色を作ったことなどこれまでになく、その難しさが分かっていましたからそれを聞いて、とても慌てました。しかし、皇帝の命令には逆らえません。幾夜も幾夜も試みては失敗を繰り返しました。藩大臣がその状況を見てとても心配になりました。もし出来なければ自分の地位と肩書きを失うどころか命までも脅かされる。それを怖れた彼は陶磁器職人に残酷な命令を下しました。一定期限に出来なければ全員に死刑を処するというのです。

梅栄というある陶磁職人の娘は自分の父が窯で連日徹夜して、苦労する姿をみていて悲しく、そしてとても心配していました。父に「一緒に逃げましょう」というのですが、父は「私たちが逃げしたら、他の人が殺される。今、最も重要なのはその赤宝石色を焼くことだ」いうばかりです。娘は父の言葉を聴いてから、恥ずかしさと不安で、夜もなかなか寝られず、どうしたら父たちを助けることができるかとずっと考え込んでいました。ある夜、梅栄は夢を見ました。夢の中に白くて長い髯のおじいさんがでて来て、彼女に言うのです。「景徳鎮の郊外に高嶺山と言う山がある。その山には赤釉石があり、それを見つけたら、みんなの命を救うことが出来る。でも探すのは簡単ではないぞ。苦労と苦痛にあなたは耐えられますか?」と。梅栄は「怖くない、怖くない」と叫びながら目が覚めましました。すぐに起きて、父の工房に行き、その夢を父に話しました。父は以前その山に登ったこともあるけれどそんな赤釉石などみたことがなかったので、娘の言葉を信じませんでした。
梅栄は父が反対するのを振り切って、一人でその山に向けて出発したのでした。山の麓に着いたのですが、その山は驚くほどに険しく切り立っていて、至る所にナイフのような尖った角を持つ石が散乱している崖ばかり。ちょっと注意を怠ると崖から落ちってしまう危険がいっぱいでした。でも梅栄は父と父の仲間たちのことを思うといてもたってもいられず、思い切ってその山を登り始めたのです。途中では靴を谷底に落とし、全身が尖った石で傷だらけでした。身体からは血が川のように流れ、遂には気を失ってしまったのです。
娘が帰らないのを心配した父が倒れた娘のところに着いた時には、梅栄はもう息が止まっていました。そして、彼女の体の下には石が血で染められて、赤釉石になっていたのです。父は悲嘆にくれながらその石を掘って持ち帰り、本当に皇帝が命令された通りの火のように赤く輝く杯を焼き上げることが出来ました。
景徳鎮の陶磁器職人たちは梅栄さんを記念するために赤釉石で焼いた陶磁器を<美人祭>と名づけたのでした。