「呼吸」

2006/10/05
書道家の柿沼康二さんをテレビでインタビューしていた。名筆をそのまま書き写すことを臨書というそうである。彼は毎日必ずこの臨書をするという。臨書をして創作をする。この関係が僕には呼吸に見えてきた。
優れたピアニストの演奏を聴きそれを真似てみるのも一種の臨書だろう。
学ぶことと創作することの関係は呼吸なのだと思う。学ぶことを、息を吐くことだとすると、創作することは息を吸うことである。吸うだけでは窒息する、吐くからこそ吸うことが出来る。
いい呼吸は吸うことではなく吐くことから始まる。一杯吐けばおのずと息を吸い込むことになる。吸うことを意識するといい呼吸が出来ない。創作しようとしても創作だけではそれができないのだ、学ぶことだけをしていればおのずと創作が始まるのだろう。その逆に創作だけが続くと枯渇して学びたくなってくる。だから呼吸である。

書道の運筆を観察していると紙に筆を置き、すーっと引いて止め、呼吸を整えてすっと筆を紙から離す、そしてその動きを止めることなく次の位置に筆をすっと置く。この筆が紙を離れた瞬間から次の位置で筆が置かれるまでの、筆が空中にある間がとても美しい動きである。
描いている筆より空中を飛び次の動作に入る筆の飛翔に力の抜けた独特な時間と空間が見える。僕はこの描くための空を飛ぶ時間が描く時間とともに呼吸になっているように感じた。

スポーツにも呼吸がある。どんなスポーツの動作だって突然は無理である。当然、振りかぶってから振り下ろす。身を縮めてから飛び上がる。それらの動作は一連のもので呼吸のようにうまく吐けなければ吸えない。いい呼吸が出来ないことになる。
スポーツも数限りない練習があって実戦がある。デザインもたくさんの創作の演習があるといいデザインが出来るようになるように、スポーツも練習が優れた記録につながる。深呼吸のように深く吐けば深い呼吸が生まれる。
生活でも苦しい時、それは息を吐いていることなのだろう。その時間があるから吸うことが出来る。飛び上がることが出来る。いいことだけでは、歓びだけでは息切れして墜落する。危機はチャンスというけれど苦痛の時は次の歓びのチャンスとなるのだろう。

息を止めたら死ぬ。創作も息を止めたらいい仕事はできない。仕事が死ぬ。
休息は仕事の大切な呼吸の一動作である。休息があって仕事がある。人生はすべて呼吸のように過ごすのがいい。
苦痛と喜び、演習と創作、練習と実戦、休息と行動、それらが呼吸のようにつながっている。